l'un pour l'autre

このl'un、「1」の意味を、レヴィナスを師と僭称する内田樹という人は理解していない。
以前から、この人はうさんくさい人だと思っていた。それが、こういうところにあったと今日、納得した。

1は、一個一個の1であると同時に、すべて、全体という意味での1でもある。
「卒業アルバムとl'un pour l'autre」というタイトルできちんと書くべきだが。

モノクロのイガグリ坊主やおかっぱ少女の集合は、もはやどんな匂いもしがらみも感じさせない。その集合のなかには「私」らしきものもみえる。他界しちまったやつもいる。だが、どっちにせよ、はっきり誰とは言えない。言えないがそれは、ある親しさ、近さ、そうありえた「一個」の世界としてある。ノスタルジーではない。なぜなら、その集合のなかの数人は、いまここにいて、一緒にその集合をのぞきこんでいるのだ。

数十年の時間のへだたりが、現にそこにいる人物の顔と記憶のなかの名との不一致ももたらす。また、当の本人がかろうじて、集合のなかにこれが「私」であると指させるとしても、まわりの数人も、そうと認めることはできたとしても、私もあなたもおぼつかない。
それは識別ではない。「私」の発見などではない。その場所を、(それを1と呼んでもいい)ただ確かめるだけなのだ。

「これが私」であることを指示しない卒業アルバム。しかし、親しい、ノスタルジーのかけらもない親しさ。安堵と言えば安堵であるし、どこから来る安堵かと言えば、こうして生きて再会できた現実の安堵ではなく、こうして集合と向き合いながら、私の識別ではない、1をのぞき込む数人が、げんに目の前に顔を見ながら、名をしっかりとそこに留めることのできないもどかしさの多少を感じつつも、1である顔と対面できる、1であることと対面できる瞬間の安堵なのだ。

l'un pour l'autreを、内田某かは、理解していない。うさんくさいのはそのためであったとはたと気づいたのは、この「同窓」の集まりを抜けて、一人になってからのことだった。

「事件のない」同時代性とでもいうのか、あえて臭い言葉を使っておこう、そういう1の理解なくして、l'un pour l'autreをシニフェ/シニフィアンのシェーマで何かを言ったかのような風態を見せるものは偽物である。

合気道?かなんか、その道に黙って精進されるがよかろう。その合気道?もほんものかどうか、いまとなっては疑わしい。他山石。脚下照顧。

なお、これは助走である。記述的快楽、いやとっさの備忘録ゆえ、ここを通り過ぎるとも思わないが、この段階で、本気の論争をしかけるようなことは平にご容赦(笑)。

ああ、それにしても、石が20年も同じここで、数十年めにして初めてその事実を知る、ギタリストとしてレイニーウッドしていたのであったとは。

これでもって俺の時代は真に完成したと。いや俺がブルースロックのギターを完成させたのでは無論ないが、でも、そのように、完成するということはあるのだと思い知った。

口癖のように言っていた、俺は高3で終わっている。というのは何もかも完成させてしまった(笑)という意味だが、数十年めにして初めて知り得た事実が、この嘯きの奢りではなかったことを、その信憑性を完成させてしまった。

これで、ようやく(厳しい)余生を送れそうだ。