うまくやろうと考えなくていいから

休日にかためて何かやろうと考えるのは人の常かもしれない。
この連休中に部屋の片付けをと思ったが、まったくできなかった。
明日、いやもう今日から、もとのリズム。
マイミクの日記にも、けっこうまとめてオーバーホールと思いながら、できなかったという書き込みが多い。何かを作る仕事をしている人、職住一体ならなおのこと、どこかでためてどうにかしようということは外回りの職種より、よほど頻繁にあるはず。
通常の土日がまずそうだろう。

だが、「平日」と「休日」を、そういう心がけにおいて区別しないほうがいいのではないか。いきなりだが、「日々是好日」の好い日に、月曜日も土曜日もないはずだ。

オンライン上のことはそうとう片付いた。リアル部屋は、相変わらず。
それでいい。ときっぱり思えないところが残るが、これはどうも仮構された意識が、自分で自分の首を絞めていることのような気がする。

何によって仮構されたのか? 自前のパノプティコン

自前のパノプティコンは、前向きな姿勢(笑)によってこそ、いつの間にか構築され終わっているようだ。
ここがおそらく、「生政治」の問題にあたっている。

もう少し浅いところで、いや深いのか、お金のループ。ここから自由になるのは至難の技だろう。

「向上心」というのは、実はクセモノな側面を持っているようだ。
(続く)