ナラトロジー

たとえば「平成13年と言えば・・・」
と、企業や事業についてなら沿革から入って、メルクマールとなる年の時代について書く。
とくに関連する事柄が他でも動いているなら、
「ちょうどこのころ、○○が急速に立ち上がったものらしい」、などとコメントしておく。
そして、「なかでも○○は、」とその企業や事業に再び焦点を絞っていく。
あとは、お題の商品なり、話題なり急転直下、話を進めていく。
何かに似ている。
そう、挨拶から始めて、景気はどうでっかと話を振り、ところで○○持って来たんですが…。

そう、セールストークの定石である。
しかし、この定石は、よくパターンを見てみると、いろいろなところで使われていることに気づく。

話法は書法の原型である。

軽いエッセイ、コラムから、小説、論文まで内容の濃さ、長短を問わない。

坪内逍遙・二葉亭四迷集 (新日本古典文学大系 明治編 18)

といつか来た道だ。前田愛を読みさしにしたままだ。

近代読者の成立 (岩波現代文庫―文芸)

近代読者の成立 (岩波現代文庫―文芸)

話法、語り口、Narrativityから切り込んでいくと、それは分野を問わなくなる。
たとえば数学ないし数学書にも、それぞれのナラティヴィティがある。
数学の場合、それによって理解や、読みの意欲が大いに左右される。
学習参考書には、これを意識した工夫が見られる。

センター試験数学I・Aが面白いほどとける本

センター試験数学I・Aが面白いほどとける本

ただいろんなことをやらせておいて、結局何がやりたいのかわからない問題もあります。
いろいろな設問がただ時間つぶしのためにあるといった形態も見受けられます。
また、習熟度、思考力を測るためにはある程度時間が必要なはずですが、そのあたりへの配慮はまったく見られません。

これはメタである。で、「センターの約80%の問題は思考力が必要ない、といえます」と言い切る。これは実に痛快である。もちろん、これは前書きだが、そこで述べたメタに基づいて、演習問題の進行がある。
語り口はその場かぎりのものではない。方法を孕み持つものだということを示す、これはわかりやすい例になっている。